はじめに


日本人は危機意識が欠如した国民なのだろうか?

主要ターミナル駅では見張りが誰一人居ない状態の荷物が平然と置かれている。スーパーでは先程買ったばかりと思われる買物袋が自転車の買い物かごに入れられたままだ。通勤電車では網棚に荷物を置いて平気で居眠りをしている。弾丸が飛び交わない事を流血の戦闘が起きない事を平和と言うのであれば、日本は屈指の平和国である。確かに日本という国はとても治安が良い国である事には違いはないが、これは日本国内に限った話である。

インターネットは世界中に張り巡らされた巨大なネットワークである。このインターネットというネットワークはオープンであるが故に悪意を持ってコンピュータをアクセスする輩も少なくはない。

全ての情報がデジタル化された現代では情報を盗み出すために危険を冒して警備厳重な建物に侵入し、秘密書類を盗みだす必要はなくなりつつある。キーボードを叩いて目的の情報が格納されているコンピュータのセキュリティを突破すれば目的のコンピュータに侵入できるからだ。侵入が発見されたとしても、物理的にその場に居る訳ではないので物理的に侵入するのに比べ危険性は遥かに低い。足跡さえわからないようにしておけばガードする側は侵入を阻止することはできても、侵入者を捕まえる事はとても困難である。

スパイ映画のワンシーンの様であるが、まんざらフィクションでもないらしい。

恐ろしいのはコンピュータの世界ではスパイを生業としていない「普通の人」がコンピュータへの侵入を試みている事である。コンピュータに侵入する行為は物理的に建物に侵入するわけでもなく、物理的に何かを破壊するわけでもない。発見されても流血の銃撃戦が始まる訳でも無い。全てはキーボード、マウス、モニターの向こう側の話である。まるでテレビゲームのようだ。そう、物理的な行為を伴わないので不法に侵入しても罪悪感をほとんど伴わないテレビゲームがの如く錯覚してしまいかねない。それがコンピュータネットワークの世界である。

ハッキングはロールプレイングゲームのような謎解きの要素を多分に持っている。謎を解くとそこには謎を解いた者だけが手にすることが出来る特別なアイテムが眠っているのである。ハッキングは知的好奇心をくすぐる知的遊びの要素が強い。

ハッキングとクラッキングとは別物である。ハッキングとはコンピュータネットワークに限らず知的好奇心を満たす事が目的である。コンピュータの内部を深く調べたり、ネットワークテクノロジーに関して深く掘り下げたりとハッカーとは「極める」事が目的である「研究者」だ。ところが、このハッカーが良心を失うとクラッカーに転落してしまう。クラッカーは自分がここまで到達出来た事の証拠を残すために何らかの破壊やデータの不正コピーに及んでしまう。名勝旧跡に心ない落書きをしたり、貴重な高山植物を採ってしまう心理に似ている。

今、目の前のコンピュータにインターネット経由で誰かが侵入しようとしているかもしれない。「ウチみたいな所に侵入する物好きなんか居るものか。クラッキングなんて杞憂さ。セキュリティなんてそんなに気にする必要はない。」思っている方がいらっしゃるかもしれない。しかし、クラッカーたちは自分たちの足跡を消すために「踏み台に出来るコンピュータ」を日夜探しているのである。筆者が個人的に運営している小さなサイトであっても2週間に一度は何かしらの侵入を試みた痕跡が残されている。その記録を見ると国内だけではなく海外からのアクセスも数多く記録されているのが現実である。

コンピュータネットワークにおける侵入は直接肉眼で見ることはできない。人が物理的に侵入を試みているのであれば肉眼で見ることはできるが、電気信号であるコンピュータネットワークではLANケーブルをいくら眺めていても侵入を発見することはできない。コンピュータネットワークにおける侵入防止は何らかの方法で積極的な不正侵入を防ぐ仕掛けを作るしかない。もし、通信を監視をしていないのであれば侵入された事すらわからないことを意味している。監視を開始してみれば嫌でもわかる事ではあるが、想像以上に不正アクセスは多発しているのが事実である。ひょっとすると既にクラッカーたちのオアシスになっているかもしれない。

あなたのサイト 大丈夫ですか?

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